焼尻島は、天売島と武蔵水道を挟んで向かい合う平坦な島である。1島の中央の平坦な台地にはミズナラ・イチイなどの森が残り、1983年に国の天然記念物「焼尻の自然林」に指定された。2風の当たる場所のイチイは高さ1〜2 mで風下に流れ、隣の株とつながって魚の鱗のように並ぶ。31848年には、アメリカ人ラナルド・マクドナルドが焼尻に漂着した。4島には、1900年に建てられたとされるニシン漁家の住宅である旧小納家住宅が、北海道の有形文化財として残る。5
焼尻島(ヤギシリトウ)

基本情報
| 名称 | |
|---|---|
| 場所 | 北海道 羽幌町 |
| 人口 | 138人(2026年)8 |
| 面積 | 5.19 km²9 |
| 最高標高 | 97 m10 |
| 座標 | 北緯 44.43491、東経 141.40746 |
| アクセス | 定期航路あり11 |
人口
340122005
273122010
201122015
171132020
13882026
位置
国土地理院国土地理院 / 海岸線:VMAP0
自然・地理
- 焼尻島は最高標高97 mの平坦な島で、天売島とは約3.5 kmの武蔵水道を挟んで向かい合う。1島の中央は標高55〜75 mの台地で、その周りに段丘面が発達し、海岸の大半は海食崖である。14焼尻島は主に安山岩質の溶岩と、火山の噴火で生じた角ばった岩片が固まった火山角礫岩からなる。化石がないため時代は決められないが、新第三紀の中部〜上部と考えられている。15面積は5.19 km²である。16
- 天然記念物「焼尻の自然林」は、1983年8月30日に指定された。2島の3分の1はミズナラ・イタヤカエデ・ナナカマドなど約50種からなる森に覆われ、イチイは林内に広く分布し、ハイマツのように地を這う形に育つところもあるとされる。17
- 斎藤(1986)の調査によれば、天然生林は約130 haで、島の中央部のほぼ東半分にある。主な樹種はミズナラ・イタヤカエデ・シナノキ・ハリギリ・ホオノキ・アカエゾマツで、イチイは高木の下に育つ下層木をなす。焼尻島の森は約200年にわたり、燃料・建材・漁具用として、また開墾のために伐採されてきた。根元から複数の幹が立つ株立ちの木が多いのは、伐採後に切り株から芽が出て再生したためと考察されている。3
- 焼尻島は1964年に天売・焼尻道立自然公園となり、1990年8月1日に暑寒別天売焼尻国定公園に指定された。4,18
島のいろいろ
- 1898年の『日本水路誌』第5巻は、焼尻島と天売島を次のように記す。焼尻島は苫前埼の北西約22 kmにあり、天売島はその西方の、約3.7 kmの水道を隔てた島である。両島の周回はそれぞれ約11 kmである。両島の戸数はそれぞれ約150で、漁業が9割を占め、野菜は自家用にとどまる。両島には錨地があって近海を通る船の避難所となっており、越後の近海を通る船にとっての佐渡島のようだという。焼尻島は低い島で、錨地の対面に両島の戸長役場、警察分署、私立病院、汽船の荷客扱所と旅店がある。19
- 江戸時代、紀州の栖原家が天売・焼尻の漁場を請け負った。41921年の『焼尻村勢一班』によれば、紀伊国栖原村の人で松前郡福山に出張していた栖原小右衛門が、領主の松前藩・庄内藩のもとで漁場の請負人となり、定置網の一種である建網を焼尻で4統、天売で2統営ませた。同書は、石の鳥居を栖原家の寄進と伝え、1844年に栖原家が支配人を福山町の平沢富右衛門に替えたとする。20
- 小納家は石川県から渡り、漁業・呉服・雑貨商を営んだ。その住宅は1900年に建てられたと伝えられ、洋風と和風が調和した初期洋風建築として貴重とされる。5
- 焼尻地区の主な魚種は、養殖ホタテガイ・ナマコ・ウニ・タコとされる。21焼尻島ではサフォーク種のめん羊が飼われ、羽幌町の特産品とされる。めん羊牧場は2023年に民間事業者が継承した。4
- 焼尻島のアイヌ語の呼び名は「ヤンケシリ」とされる。71909年の『大日本地名辞書 続編』は「松浦氏紀行」を引いて、苦前から乾(いぬい)、すなわち北西へ約26 kmにあるヤンケシリを「名義知れず」とする。一説にはエハンケシリの略語で、エハンケは近く、シリは島の意味であり、天売(テウレ)は遠く、この島は近いからか、という。同じ引用は、島の周囲を約11 kmとする。22
- 航路標識管理所の年報は、1912年度の新設として焼尻島灯台を掲載している。年報によれば、焼尻島は苫前の西方約22 kmの沖にあり、増毛港と鴛泊港の中間の避難地に適するが、灯標がなかった。北海道庁長官から設置の申請があったものの経費の都合で建てられずにいたところ、樺太が日本領になって船の往来が増えたため、建設が急がれたという。灯台は島の南端、水面上約39 mの平坦地にあり、混凝土(コンクリート)造の白色の八角形で、基礎から灯火までの高さは約11 mとする。23
伝承
- 1921年の『焼尻村勢一班』は、焼尻の住人の始まりについて、次のような言い伝えを口碑として載せている。約200年前、苫前のアイヌが漁の途中で暴風のため天売に漂着し、焼尻に渡って島を見たところ、鮑(あわび)などの魚族が豊かで苫前・羽幌の陸地にも近いので「有利の地」と認めた。そのアイヌは帰村後、5、6人の仲間と、当時無人島だった焼尻に移り住んだという。同書は続けて、1746〜1747年ごろ、松前郡福山の山田某が漁期に漁夫を率いて来て3、4年漁業を営んだが、不漁のためその後は来なくなったと記す。字アイカケのうちの「〆泊」という所は山田某が漁をした所で、その家号にちなむ名だという。また、巌島神社は栖原家の漁場の守護神として1804年に栖原家が創建したと伝えるが、記録は存在しないと明記している。20
アクセス
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1746〜1747(延享3〜4)ごろ | 松前郡福山の山田某が漁夫を率いて来島し、3、4年漁業を営んだとされる20 |
| 1778(安永7) | 焼尻に同年8月15日付の墓碑がある4 |
| 1786(天明6) | 六代栖原角兵衛が天売・焼尻の漁場請負を命じられる4 |
| 1848(嘉永元) | アメリカ人ラナルド・マクドナルドが焼尻に漂着4 |
| 1859(安政6) | 天売・焼尻が庄内藩の支配地となる4 |
| 1876(明治9) | 苫前郡が5村に区画され、焼尻村ができる4 |
| 1879(明治12) | 焼尻村・天売村の戸長役場が焼尻に置かれる4 |
| 1900(明治33) | 小納家住宅が建てられたとされる5 |
| 1906(明治39) | 焼尻村が二級町村となる4 |
| 1912(大正元)年度 | 航路標識管理所が島の南端に焼尻島灯台を新設する(灯台表の欄に「大正二年二月」とあり、初点灯の年月と考えられる。要確認)23,25 |
| 1959(昭和34) | 焼尻村が羽幌町に編入合併(月日は要調査)4 |
| 1964(昭和39) | 天売・焼尻が道立自然公園となる4 |
| 1977(昭和52)-12-19 | 焼尻郷土館(小納邸)が羽幌町有形文化財に指定4 |
| 1979(昭和54)-11-27 | 旧小納家住宅が北海道有形文化財に指定5 |
| 1983(昭和58)-08-30 | 天然記念物「焼尻の自然林」に指定2 |
| 1990(平成2)-08-01 | 暑寒別天売焼尻国定公園に指定18 |
| 2023(令和5)-08-31 | 羽幌町営焼尻めん羊牧場を民間事業者が継承4 |
注
- 1 秦光男『5万分の1地質図幅説明書「焼尻島」(旭川-第28号)』、1960年、1頁。
- 2 文化庁『文化遺産オンライン「焼尻の自然林」』、1983年。
- 3 斎藤新一郎「北海道焼尻島におけるミズナラ・イチイ天然生林の群落学的研究」、1986年。
- 4 羽幌町『まちのあゆみ』。
- 5 北海道教育庁 留萌教育局『旧小納家住宅(北海道指定有形文化財)』。
- 6 国土地理院『電子国土基本図(地名情報)自然地名(国土地理院ベクトルタイル提供実験 experimental_nnfpt)』、2017年。
- 7 太田為三郎 編『帝国地名辞典 下巻』、1912年。
- 8 羽幌町 町民課『羽幌町の人口と世帯数(令和8年度)』、2026年。
- 9 国土地理院『令和8年全国都道府県市区町村別面積調(4月1日時点)付3 島面積』、2026年(2026年の値)。
- 10 秦光男『5万分の1地質図幅説明書「焼尻島」(旭川-第28号)』、1960年(1960年の値)。
- 11 北海道離島航路確保対策協議会(羽幌航路)(推定)『北海道離島航路確保対策協議会(羽幌航路) 地域公共交通確保維持改善事業 概要』、令和6年度の事業実績と令和7年度離島航路確保維持計画案を扱う。
- 12 羽幌町 地域振興課『町勢要覧資料編 2026年版(はぼろ)』、2026年。
- 13 総務省統計局『令和2年国勢調査 小地域集計(町丁・字等)男女別人口総数及び世帯総数(北海道)』、2020年。
- 14 秦光男『5万分の1地質図幅説明書「焼尻島」(旭川-第28号)』、1960年、3頁。
- 15 秦光男『5万分の1地質図幅説明書「焼尻島」(旭川-第28号)』、1960年、4頁、11頁。
- 16 国土地理院『令和8年全国都道府県市区町村別面積調(4月1日時点)付3 島面積』、2026年、82頁。
- 17 北海道教育庁 留萌教育局『焼尻の自然林(天然記念物)』。
- 18 北海道 環境生活部『暑寒別天売焼尻国定公園』。
- 19 水路部『日本水路誌 第5巻』、1898年、112頁。
- 20 焼尻村『焼尻村勢一班』、1921年、デジタル版14コマ。
- 21 北海道焼尻地区地域水産業再生委員会『浜の活力再生プラン(第3期)北海道焼尻地区』、2024年、1頁。
- 22 吉田東伍『大日本地名辞書 続編』、1909年、デジタル版122コマ。
- 23 航路標識管理所『航路標識管理所年報 第5巻(明治44〜大正2年度)』、1916年、138頁。
- 24 羽幌町 総務課『羽幌町への交通アクセス』。
- 25 航路標識管理所『航路標識管理所年報 第5巻(明治44〜大正2年度)』、1916年、デジタル版45コマ。
参考文献
- 秦光男『5万分の1地質図幅説明書「焼尻島」(旭川-第28号)』地質調査所、1960年。
- 文化庁『文化遺産オンライン「焼尻の自然林」』、1983年。
- 斎藤新一郎「北海道焼尻島におけるミズナラ・イチイ天然生林の群落学的研究」北海道立林業試験場、1986年。
- 羽幌町『まちのあゆみ』。
- 北海道教育庁 留萌教育局『旧小納家住宅(北海道指定有形文化財)』北海道。
- 国土地理院『電子国土基本図(地名情報)自然地名(国土地理院ベクトルタイル提供実験 experimental_nnfpt)』、2017年。
- 太田為三郎 編『帝国地名辞典 下巻』三省堂、1912年。
- 羽幌町 町民課『羽幌町の人口と世帯数(令和8年度)』羽幌町、2026年。
- 国土地理院『令和8年全国都道府県市区町村別面積調(4月1日時点)付3 島面積』、2026年。
- 北海道離島航路確保対策協議会(羽幌航路)(推定)『北海道離島航路確保対策協議会(羽幌航路) 地域公共交通確保維持改善事業 概要』国土交通省 北海道運輸局(掲載)、令和6年度の事業実績と令和7年度離島航路確保維持計画案を扱う。
- 羽幌町 地域振興課『町勢要覧資料編 2026年版(はぼろ)』羽幌町、2026年。
- 総務省統計局『令和2年国勢調査 小地域集計(町丁・字等)男女別人口総数及び世帯総数(北海道)』、2020年。
- 北海道教育庁 留萌教育局『焼尻の自然林(天然記念物)』北海道。
- 北海道 環境生活部『暑寒別天売焼尻国定公園』北海道。
- 水路部『日本水路誌 第5巻』、1898年。
- 焼尻村『焼尻村勢一班』、1921年。
- 北海道焼尻地区地域水産業再生委員会『浜の活力再生プラン(第3期)北海道焼尻地区』水産庁(掲載)、2024年。
- 吉田東伍『大日本地名辞書 続編』冨山房、1909年。
- 航路標識管理所『航路標識管理所年報 第5巻(明治44〜大正2年度)』、1916年。
- 羽幌町 総務課『羽幌町への交通アクセス』羽幌町。
- 国土地理院『地理院タイル「全国最新写真(シームレス)」(seamlessphoto)』。