霧多布島は、砂州で陸と繋がっていた島で、1960年5月24日のチリ地震津波で砂州が切断され、再び島になった。1その8年前の1952年十勝沖地震では、湾に残っていた流氷を伴う津波が霧多布を襲った。2江戸時代には、アイヌとの交易のために区切られた区域である「場所」の一つ、キイタップ場所が霧多布島を中心に営まれたとされる。3
霧多布島(キリタップトウ)

基本情報
| 名称 | |
|---|---|
| 場所 | 北海道 浜中町 |
| 人口 | 942人(2020年)5 |
| 座標 | 北緯 43.08009、東経 145.16091 |
| アクセス | 不明 |
位置
国土地理院国土地理院 / 海岸線:VMAP0
自然・地理
- 霧多布島は、根室層群の最上位にあたる霧多布層の礫岩でできている。霧多布島では、砂岩と頁岩が交互に重なった互層が礫岩の中にレンズ状に挟まる様子がよく観察され、互層の厚さは島の西岸で約120 m、東岸で約25 mある。島の南東部の礫岩層は、嶮暮帰島の主部と同じ層準、つまり地層の重なりの中で同じ位置にあたるとされる。霧多布層の厚さは300 m以上で、礫は粗粒玄武岩・輝緑岩・安山岩・玄武岩・砂岩・頁岩などの円礫である。6
- 霧多布層の年代について、1966年の地質図幅説明書は、第三紀のうち暁新世の最初期にあたる Danian に当てる可能性を、留保をつけて述べている。72012年の解説は、霧多布層を暁新世とする見方を示し、大陸斜面上部の海底谷を埋めた堆積物と解釈している。台地は摩周火山の火山灰層に覆われる。8
- 北海道庁は、霧多布岬(湯沸岬)を「砂の堆積により対岸と繋がった陸繋島の先端」と説明している。9この砂州は1960年のチリ地震津波で切断され、幅約100 m・深さ約2 mの水道ができた。1
- 霧多布島が陸続きになった時期について、1882年の時点で「霧多布島陸繋部」という表現が使われている一方、1884年には渡船場の桟橋があったとされ、地名辞典は明治中期に陸続きになったとする。10,11,4
- 厚岸霧多布昆布森国定公園は2021年3月30日に指定された。北海道庁の紹介では、霧多布岬の周辺にラッコが生息するとされる。9
島のいろいろ
- 江戸時代、霧多布島を中心とするキイタップ場所は、アッケシ場所から分かれて成立し、ネモロや千島方面のアイヌとの交易を行ったとされる。『東行漫筆』によれば、キイタップ場所は1798年まで松前藩主の直領だった。3
- 1882年に霧多布の市街地の区画が行われ、汽船航路が開かれて、霧多布は拠点の港となった。1885年には霧多布村が成立し、その範囲は現在の霧多布東・西1〜4条と湯沸にあたる。10
- 1952年の十勝沖地震は10時23分に起き、第1波は10時55分、最大の第4波は12時30分頃に到達した。琵琶瀬湾には地震の約1週間前に来た流氷が残っており、その多くは2 m四方・厚さ0.6 m、大きいものは5 m四方・厚さ1.3 mあった。霧多布の浸水深は2 m以下だったが、家屋の倒壊・流失が多かった。12十勝沖地震全体の死者は28名、行方不明者は5名で、被害は霧多布周辺に集中した。13
- 1966年の地質図幅説明書は、1960年の津波で霧多布市街を含む一帯が最高405 cmの高波に襲われ、集落が流失したと記している。ただし、この値を測った地点は書かれていない。14
- 浜中漁業協同組合は霧多布東1条にあり、コンブ・サケ・サンマ・カニ・ホッカイシマエビ・ツブなどを水揚げし、ウニの養殖も行っている。「浜中養殖うに」は、2023年に地理的表示(GI)保護制度に登録された。15
アクセス
- 霧多布島は、霧多布大橋で本土側と結ばれている。11
年表
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 1701(元禄14)とされる | キイタップ場所が成立(『福山秘府』の記事による『浜中町史』などの説。『蝦夷地一件』は「元禄中」)3 |
| 1879(明治12) | 霧多布の永住戸は3戸10 |
| 1882(明治15) | 「霧多布島陸繋部」の東側に市街地を区画し、地域の中心とする(約60戸)10 |
| 1884(明治17) | 霧多布と新川の間に渡船場の桟橋11 |
| 1885(明治18)-07 | 浜中村から分かれて霧多布村が成立(1906年まで)10 |
| 明治中期 | 砂州が広がり陸続きになったとされる(要裏取り)4 |
| 1952(昭和27)-03-04 | 十勝沖地震。約3 mの津波が琵琶瀬湾の流氷を割って押し寄せ、家屋が壊された2 |
| 1960(昭和35)-05-24 | チリ地震津波。10時45分に砂州が切断され、再び島になる1 |
| 1960 | 霧多布大橋が流失11 |
| 1961 | 永久橋が完成11 |
| 2021(令和3)-03-30 | 厚岸霧多布昆布森国定公園が指定される9 |
注
- 1 建設省国土地理院『チリ地震津波調査報告書 ― 海岸地形とチリ地震津波 ―』、1961年、25–26頁。
- 2 北海道開発局『雪氷期の津波沿岸防災対策検討会 第1回検討会資料』、2012年、15–17頁。
- 3 平凡社『日本歴史地名大系 北海道の地名「キイタップ場所」項』。
- 4 平凡社『日本歴史地名大系 北海道の地名「霧多布島」項』。
- 5 総務省統計局『令和2年国勢調査 小地域集計(町丁・字等)男女別人口総数及び世帯総数(北海道)』、2020年。
- 6 長尾捨一・石山昭二・吉田三郎(北海道立地下資源調査所)『5万分の1地質図幅説明書「霧多布」(釧路-第38号)』、1966年、12–15頁。
- 7 長尾捨一・石山昭二・吉田三郎(北海道立地下資源調査所)『5万分の1地質図幅説明書「霧多布」(釧路-第38号)』、1966年、32頁。
- 8 棚橋学ほか『浜中湾-霧多布海岸の白亜系~古第三系根室層群(GSJ地質ニュース Vol.1 No.12)』、2012年。
- 9 北海道 環境生活部『厚岸霧多布昆布森国定公園』。
- 10 平凡社『日本歴史地名大系 北海道の地名「霧多布村」項』。
- 11 浜中町(部署は資料に記載なし)『ちりっぷアサリ検定問題(第1章〜第4章)』。
- 12 北海道開発局『雪氷期の津波沿岸防災対策検討会 第1回検討会資料』、2012年、16–17頁。
- 13 内閣府(防災担当)『災害史・事例集 2-3. 十勝沖地震(1952年)』。
- 14 長尾捨一・石山昭二・吉田三郎(北海道立地下資源調査所)『5万分の1地質図幅説明書「霧多布」(釧路-第38号)』、1966年、2–3頁。
- 15 北海道 水産林務部『浜中漁業協同組合(北海道の漁協紹介)』。
参考文献
- 建設省国土地理院『チリ地震津波調査報告書 ― 海岸地形とチリ地震津波 ―』、1961年。
- 北海道開発局『雪氷期の津波沿岸防災対策検討会 第1回検討会資料』、2012年。
- 平凡社『日本歴史地名大系 北海道の地名「キイタップ場所」項』。
- 平凡社『日本歴史地名大系 北海道の地名「霧多布島」項』。
- 総務省統計局『令和2年国勢調査 小地域集計(町丁・字等)男女別人口総数及び世帯総数(北海道)』、2020年。
- 長尾捨一・石山昭二・吉田三郎(北海道立地下資源調査所)『5万分の1地質図幅説明書「霧多布」(釧路-第38号)』北海道開発庁、1966年。
- 棚橋学ほか『浜中湾-霧多布海岸の白亜系~古第三系根室層群(GSJ地質ニュース Vol.1 No.12)』産業技術総合研究所 地質調査総合センター、2012年。
- 北海道 環境生活部『厚岸霧多布昆布森国定公園』北海道。
- 平凡社『日本歴史地名大系 北海道の地名「霧多布村」項』。
- 浜中町(部署は資料に記載なし)『ちりっぷアサリ検定問題(第1章〜第4章)』浜中町。
- 内閣府(防災担当)『災害史・事例集 2-3. 十勝沖地震(1952年)』内閣府。
- 北海道 水産林務部『浜中漁業協同組合(北海道の漁協紹介)』北海道。
- 国土地理院『地理院タイル「全国最新写真(シームレス)」(seamlessphoto)』。